ウジ虫療法を父が選択しなかった理由

ウジ虫療法で足切断回避 難治性潰瘍に高い効果
ちょっとまえのこのニュースがはてブのエントリに上がっていて「ああ、気持ち悪いから話題になってるんだろうなぁ」というのは容易に想像がついた。
じつはこのマゴット療法、我が家の父が亡くなる前に、岡山まで出かけて行って受けようとした治療法である。

「おい、マゴットって知ってるか?」
何か面白いことを企んでいるような表情で、父は私にこう問いかけた。
「何それ、知らない」
「マゴットっていうのはウジ虫だ。こいつは人間の死んだ組織を食って、生きた組織は食わないんだとさ。父ちゃんはこのウジ虫に、この足の裏の腐った肉を食わせて、壊疽を治療しようと思うんだ」
「あら、おもしろいじゃないの」と、横で会話を聞いていた母は面白がった。
なんという夫婦なんだろう(笑)


そして、私もワクワクしてくる気持ちが沸いてくるのを感じていた。
この親にしてこの子ありといったところか。


父の糖尿病歴は長かった。若いころから糖尿の気があり、テレビのディレクターという超多忙なライフスタイルは、確実にその体を蝕んでいった。五十の半ばで糖尿病のクリニックに入院し、すぐに腹膜透析という治療を開始し、いつも入退院を繰り返していた。長く続いた闘病生活の末、この二月に心筋梗塞を起こして突然亡くなった。


糖尿病というのは、体のありとあらゆるところを蝕む病だ。
父の場合は皮膚、目、血管、心臓、腎臓、あとなんだっけ…とにかく凄まじい勢いで色んなところにボロが出てくる。正常じゃない箇所のほうが少ないのではないか?というくらい、入退院を繰り返していた。

あるときは心臓バイパス手術を受け、手術の前日に「とりあえずばあちゃんを頼むわ」といわれた時は、泣きながら自転車を走らせて帰宅したものだ。手術は成功するも、動脈硬化はどんどん進行する。
それは心臓の動脈だけではなく、足の血管もやられるのだ。足の血管が細くなり、第二の心臓と呼ばれるそこが脆くなるとどうなるか?

足先に血が通わなくなり、痛みの感覚がなくなり、すると怪我に気が付きにくくなり、その傷口から細菌感染でもしようものなら・・・そう、弱った体で細菌に感染すると、肉や皮膚が腐ってきて、そのまま壊疽による足の切断ということになる。

父は東京の港区にある病院に通院していた。血管内科、腎臓内科、眼科、形成外科、透析病棟、その病院で受けてないのは産婦人科ぐらいではないか、という程、色んな科をめぐって病気と闘い、付き合ってきた。

足に異常が出始め、みるみるその親指がどす黒く腫れ、あまりの異様さに病院へ行った時は、すでにとき遅し。父は左足の親指を失った。
壊疽を防ぐために、体のあちこちからまだ元気な血管を、左足に移植するという手術も何度か行った。いつぞや、やはり父が入院していた時に、同じ病室に入ってきた爺さんは、空手か何かをやっていたという元気な(というかちとうるさい)人だったのだが、わがままで、そして膝下から切断しないと、細菌が足の上まで上がってきて、腿から切断せざるを得ないという緊急で入院した人だった。

とにかく声がでかくてわがままで「あれ食いたい・これ食いたい」というばかりの爺さんだった。医者や妻君の言うことなんざ聞きゃしない。だが、その間も細菌は膝の上へと血液に乗ってじわじわと上がってくる。一刻も早く(ほんとは今日にでも)膝下を切断しないと、腿を失うことになると言っていたが、糖尿病は深刻さに気が付かない病でもあるので、その爺さんは駄々をこねまくっていた。

あの爺さんはどうしたのだろうか・・・?


さて、父がマゴット療法にチャレンジしようと思い立ったのは、去年の夏ごろだ。
父は幼少のころ、岡山に住んでいたので、岡山にまだたくさんの友人が住んでいた。その中の一人が「岡山大学でマゴット療法という画期的なものがある」と教えてくれたんだと。
その頃の父の病気は、腎不全で腹膜透析をはじめて五年目で、壊疽をやったほうの左足の裏を怪我して、肉が削げてしまい、歩くのもままならないという不自由な生活をしていた。
何とか足の裏に肉が盛り上がり、皮膚を移植さえすれば、また少し自由に歩きまわれるのに・・・
そんな状態で、マゴット治療の話が持ち上がったんだと記憶している。

私も以前にマゴット治療については、イギリスかどこかでそんな療法があり、かなり効果があるという話を聞いていたので(半ば野次馬根性で)父にその療法をすすめたのである。母も興味津々だった。
まぁ、そんなわけで父は岡山大学まで同窓会ついでに訪問をし、東京でマゴット治療を受けられる病院を紹介してもらったようだった。

東京の先生が言うには「足の裏でマゴット治療をするのは、時間がかかるし完全に身動きが取れなくなるから止めたほうが良い」というもので、他にもいい治療法があるからと、最良の選択を自ら下したようだった。
マゴットよりも時間的にも金銭的にも良かったその治療法は、自らの血液の成分から、血漿成分を分離して、足の裏に流し込むというものだった。

去年の今頃、父は御茶ノ水にある大学病院に入院をし、削げた足の裏の肉を再生する治療を受けた。
入院当日、すでに平日のみ父と同居していた私(ニート)は、父に付き添い、手術当日は先に病院に行っていた母と合流する為に、不忍通りを自転車で通過していた。途中、腹が減ったので、母への土産がてら「根津のたいやき」を購入し、指定された入院棟へ向かった。
待合室で手持ち無沙汰そうな母を発見し、ふたりでたいやきを食べつつ、父の状況を聞いた。
「ここの看護婦さんは、腹膜透析のことを良く知らないので、父さん自分でてきぱきと仕度して、看護婦さんにレクチャーしてたよぅ」なんとも父らしいねぇと笑いながら、手術が終わるのを待った。

足の裏に自らの血液から分離した、血しょう成分を流し込み、上から蓋をするようにすると、血液の再生作用で肉の盛り上がるスピードが倍増するという、マゴット治療とは異なる治療法を選んだ父であったが、その成果は見る見るうちに現れた。一ヶ月ほどで足の裏の肉は再生し(普通、糖尿病患者は足の血管もぼろぼろになるので、足先から肉が壊疽しやすい。たとえ再生しても時間が掛かることが多い)、見事に歩けるようになったのだ。
靴底に固いプレートを入れ、日本橋のデパートで購入したお気に入りのステッキを片手に、新居の周りを自転車でふ〜らふら・よろよろとしつつ、それなりに人生を謳歌していた。

父は亡くなる数日前に、近所の湯島天神に梅を見に独り出掛けていた。
私が仕事から帰宅すると(その頃はニートではなかった)、湯島の梅祭りのパンフレットを机の上にぽーんと投げて寄越し「まだ早咲きの梅しか見られなかった」などといいながらも、穏やかな時間を過ごしたのだった。

蛆虫治療というと、どうしても父のことを思い出さずには居られない。
あのとき、マゴット治療を受けていたら、面白かっただろうなーとか、色々考えさせる記事でした。
ま、湿潤療法に似てるなーというのもある。いちおこれでも自転車好きですから(笑)